-edならば過去の話

突然だが、王貞治の名言を借りよう。

 

「敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける」

 

男はみな戦士。戦う生き物だ。

自分との戦いを日常の中で繰り返す、その先に他者との実戦がある。

つまり己の欲に負けずオナ禁をする。そしてその先の他者との"実戦"に備える。

 

1mmの飛躍もないこのロジックは、22の僕を5週間に及ぶオナ禁チャレンジへと駆り立てた。男性の脳細胞ならその困難さを容易く理解するだろう。

 

始めて1週間は定期的に欲の波が訪れた。溺れそうになるが、己をギリギリで制する。この繰り返し。この期間が非常につらい。最大の難所と言える。

だが面白い事に、1週間を超えると性欲が乾いていき、己を制するのが楽になり始めていた。

そして1ヶ月経つと驚くべき変化が訪れる。性欲はほぼ無になり、さらに食欲すらも減退していた。

 

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欲砂漠。

 

それから僕はさらに1週間ほど砂漠を彷徨った。

もはや禁という言葉すら忘れ、僕の身体は砂漠での生活を受け入れていた。

 

ふと我に返った僕の頭をよぎるカッコいい横文字…

Erectile Dysfunction

それは雄としての死を意味する。

荒涼とした砂漠で戦士は刀を手放そうとしていた。

戦地に一度も立たぬままに、勃たぬままに…。

 

最悪のシナリオだ。

「このままでは、いけない!」

焦って前立腺に呼びかけた。長澤まさみの声がした。

 

すると歓喜

砂漠に雨が降った。

よかった……まだ終わってはいなかった…。

どうやら己との戦い方を間違っていたようだった。

そして僕はこんな馬鹿な真似は2度と止めようと誓ったのだった。

 

それは過去の話。

 

しかしなお急がねば、刀が錆びる前に戦地へ……。

貞操治療。

 

P.S. 「敵と戦う時間は短い。」それまた良くない。

哲学者とギャル

早過ぎた夏、リネンのシャツに素肌から脇汗が滲んでいる。外界から空間を切り取るように効きすぎた冷房が、張り詰めた空気を演出するかのようだ。

??「高名な哲学者に憧れる渋谷のギャルです」

問いかけに対して回答がなされると小さな笑いが起こり、部屋の空気は僅かに熱を帯びた。

 

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突然だが、高名な哲学者と渋谷のギャル、どちらが幸せだろうか?

例えば、

高名な哲学者は幸せとは何かを思索し続けた末に、若くして人生に絶望して自殺したとする。

一方で渋谷のギャルは毎日めちゃくちゃエッチをする、そのうち子供ができて、ありふれた家庭を気付き、子供達に看取られながら生涯を閉じるとする。

 

ギャルのが幸せじゃね?と思う。

コスパのみを考えれば、幸せの閾値を下げるに越したことはない。
ポテトチップスは美味しい、寝ることは気持ちよい、エロいことはエロい。
ここまで閾値を下げるとまあ幸せになれる。

そんなかんじで、自堕落な僕は割と渋谷のギャルである。

しかし僕の周囲にはより高次の幸せを求める知人達がいる。自分の自分による自分のための努力をしている人とか。大切な人をしっかり愛したいとか。損なのに信念みたいなの曲げないみたいな人とか。

高度な生物だなあと思う。そう言ったある意味コスパの悪い、しかしどうやら意義深げな生き方に憧れたりもする。

しかし僕はそうはなれない。
毎日、ポテチを食って寝て起きたらしこってポテチを買いに行く。

そんな僕も今日は珍しく将来のために就活なんかをして、珍しく価値観なんかを語ったりしたという話。


面接官「君にとって幸せて何?」

僕「私は高名な哲学者に憧れる渋谷のギャルです。というのは………」

部屋と胆嚢と私。

半年前、母が手術した。何も重たい病気とかではなく、だからこれから話すのも笑い話。母は胆嚢にコレステロールの塊が石のように溜まっていたらしく、これが腹痛の原因になっていた。”胆嚢は胆汁を貯めるだけの袋”と小学校の理科でも習った通りで、やはりその機能はさして重要ではなく、ただ切除すれば解決とのことだった。

 

手術当日、家族代表として立ち会った僕は手術が始まると、4畳ほどの誰もいない部屋に通された。3時間ほど待つと執刀医がポーチ大の箱を持って静かに入ってきた。

 

医師「手術は無事成功です。」

僕「ありがとうございます」

医師「それでこれが…」

僕「…」

医師「お母さんの胆嚢です」

僕「…!」

 

知ってましたか?最近(?)は手術後に切除した臓器を親族に見せるらしい。そのシステムを知らなかった僕は、期せずして見た母の胆嚢にどうコメントしていいか分からず。親の臓器にかける適切なコメント、ご存知の方いたら後学のために教えて頂きたい。

 

この時、この空間はなんだろう?

部屋と胆嚢と私。と医師。

1人で勝手に可笑しくなってしまった。シュールという言葉を安易に使いたくはないが、これはそれだった。

 

さてこの状況のヤバさをどう説明したら良いか分かったので、このたび記事にしようと思い立った。言わずもがな僕も母親のお腹から生まれてきた訳だ。

 

つまり、こういう事↓

 

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 ある日、街中を歩いていると前から見覚えのある顔。

 

僕「あれ?あなたもしかして…」

??「…」

僕「20年前マンションでお隣だった…」

 

近づいてみると、やはり。歳を重ねてもなお残る面影。

 

??「……」

僕「…胆嚢さんですよね!!?」

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…こういうヤバさがあそこにあった。

 

僕「…お元気ですか?」

??「あのマンションね。部屋にゴミ溜め込み過ぎて、クレームでたから強制退去よ」

 

彼はそう言って去っていった。

見返り不美人図

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さてこの女性の後ろ姿をみて、どうだろう?

この前姿が美人か否か。自分の中で予想を固めた上でこの記事を読んで欲しい。

 

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見返り美人図をご存知だろうか?

江戸時代初期に”浮世絵の祖”として名高い菱川師宣が遺した作品である。当時の女性が見返る姿の美しさを表現している。

 

ここで平成の街を歩く僕らも改めて”見返り”について考えてみよう。

僕はここに価値観の逆転を見る。

イマドキの女性はスカートや肩出しなど、街に露出が溢れている。

…平成に生まれてよかった。

ハイヒールやストッキングは非常にいい仕事をしており、街に美脚を量産している。

…平成に生まれてよかった。

そう、僕は街で8割がたの女性の後ろ姿に興奮し、生唾を飲ませて頂く。

 

しかし後姿の期待値が上がり過ぎてしまった。裏を返すと、後姿で上げたハードルを前姿で超えることが難しくなった。

街ゆく女性を見て「この人超綺麗っぽい!」

そう思って前姿を見ると、上げたハードルを下からくぐり抜けてみせる女性もいたりする。

 

 

(もちろんあまりに無礼な文章であることは承知している。)

  

つまり江戸時代”振り返り”は賞賛されたが、平成においては”振り返り”は必ずしも賞賛できないのかもしれない。

 

なにも批判がしたいのではない。批判する資格もない。

僕はそんな平成の街を歩くのがむしろ好きだと言いたい。街ゆく女性の後ろ姿で、頭の悪い僕は毎度期待してしまう。

「この人超綺麗っぽい!」

前面が本当に美人だったら素直に幸せ。

前面が不美人でも実は楽しい。

「また後姿で、浅はかにも期待してしまった…」

そんな自分の愚かさが楽しい。記事を読まれている方も男性なら、そんな愚かさのカケラはないだろうか?

 

 

この度、そんな街を歩く時のドキドキを追体験できる写真集”見返り不美人図”を作成した。渋谷、新宿を歩く素人の女性たちに声をかけ写真を撮らせて頂き、右ページに後姿、めくると左ページに前姿を配置した写真集である。家に届くのが今から楽しみだ。知人には見せたい!

 

 

さて冒頭の問いに戻ろう。あの女性、美人か?否か?答えは

 

 

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僕。

 

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僕。

 

P.S. この写真集は街ゆく女性の快いご協力、そして何より撮影・交渉・メイクにおいて友人の力添えなしには作れなかった。本当に感謝しています。

 

下を向いて歩こう

僕は昨年、3週間東南アジアをバックパックしていた。旅路は香港マカオ中国(広東、桂林、南寧)ベトナムラオスタイを駆け足で回るというもの。

 

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その初日、僕は香港の大陸側を旺角→油麻地→尖沙咀と歩いていた。尖沙咀に着く頃にはすっかり日も沈んでいたが、なお活気ある繁華街は日本の渋谷に近い雰囲気。坂の多い街並みには、居酒屋がたち並び、キャッチらしい黒人がちらほら。

 

23時の尖沙咀はネオンが煌々と光り、眠る気配を見せない。懐かしい感じがした。

時差1時間、24時の渋谷もきっとこんなネオンが灯っているのだろう。

24歳、初の海外1人旅、その初夜、僕の心は渋谷に片足を置いたままだった。

 

僅かにセンチな色を帯びながら、ネオンを見上げて思った。

 

「いい旅にしよう

 

 

瞬間。

右足が未知の動摩擦係数に出会った。

 

すべるすべる。

 

眠らない街尖沙咀、。

そこはどこまでもまるで渋谷。その再現度たるや。道端には吐瀉物が散見された。そう、僕の右足はしっかりと"渋谷"を捉えていた。

 

絶望。

僕は確かにネオンを見上げていたが、目の前は真っ暗。

 

尖沙咀は眠らない。僕を安らかに眠らせるつもりもない。

 

こうして初の1人旅は出鼻を見事に挫かれ、苦い思い出となったのだった…。

 

さて坂本九は「上を向いて歩こう」と言った。

しかしこの時、僕は「下を向いて歩こう」と固く誓ったのだった。

もうこれ以上涙がこぼれないように

 

それは泣きながら歩く一人ぼっちの夜。

俺の名は。

こんばんは、トシヒロです☆

お席一緒していいですか?

…ありがとうございま〜す!!

 

こんな感じで…。

先日ホストの体験入店行ってきました。

簡単に感想まとめます。

 

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場所は新宿歌舞伎町。結論から言うとめちゃくちゃ楽しかったです。感動しました。

 

客層は幅広くて僕が接した4組だけでも年齢25〜45歳、顔面偏差値35〜65までと、バラエティがすごい。 

またホストはかっこいい人多かったです。しかし店で不動の1位だった現役員の方は顔面は下の上。現役のNo1も顔面は平均ちょい上くらい。その代わり2人とも喋りがめちゃくちゃうまい。最終的には頭で成り上がる世界なんだなぁと思いました。

 

今日はそこで出会った"愛せる馬鹿系ホスト"の話をしようと思います。ここでは仮に"知性さん"と呼びましょう。知性さん、人当たりもよく、会話の頭の回転も早いんですが、学校的な知識がカケラもなくてめちゃくちゃ愛せる人間でした。

 

お客さんを含めて、あるお題にそって順番に回答するゲームをしていた時です。

 

まずは細胞を構成するパーツというお題。

 

僕「小胞体」

ホストA「核」

客「細胞膜」

知性細胞脈

 

細胞脈…、21世紀にして新しいオルガネラが発見されてしまった。または生み出されてしまった。この人、創造主なのかもしれない。そう思いました。 

細胞脈については現在、Natureに報告しようと検討中です。

 

ゲームは続き、月名を英語のスペルで書くというお題に。これがやばかった。

 

僕「January」

ホストA「F…February」

客「march!」

創造主「…わからん。これってingつくっけ?」

 

Apriling…。年間通して4月だけ常に進行中……あまりにもフール。

 

知性さんはその後もずっとエンジン全開だったので、1年の中から8月と12月は消滅したことになりました。残念です。

 

でもお客さんはずっと笑ってたので、サービスとしてはすごかったです。

 

このようにホストも各々の個性を光らせて、客を楽しませるプロでした。普通に尊敬して帰ってきました。楽しかったです。

 

以上、トシヒロでした☆

 

 

P.S 源氏名は父方のおじいちゃんの名。

脱衣所を覗きたくはないか?

コンビニに並ぶグラビアの話。

 

今週のヤンジャン西野七瀬は観ただろうか?

 

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…きっと比較的多くの男性が手に取り、楽しんだであろう。

 

では今週のananの白石麻衣は?

 

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…女性誌だから手に取っていないという男性もいるかもしれない。

 

ここでノストラダムス的な予言を一つ。

 

"5分後、この記事を読んだあなたはブラウザを閉じてコンビニに走る"

 
白石麻衣に対して特別な感情がある訳ではないが、ananのグラビアには特別な価値がある。今日はこの事について語りたい。

 

まずシンプルに魅力を語るとananのグラビアは綺麗だ。基本的に"女性の美"的なスタンスなので、不純物がない写真に仕上がっている。

 

そしてなにより特筆すべきはananグラビアの持つ構造である。

考えてみて欲しい、女性誌だから当然、女性が女性に向けて肉体美を披露している。そこに男性の視線は介在しない。

 

例えば、今週のヤングジャンプを立ち読みする時、僕達は西野七瀬を見ているが、西野七瀬も僕達を見ている。

一方、ananの白石麻衣は僕達を見ていない。世のJDやOLを見ている。


ananは脱衣所である。

 

脱衣所は見るも見られるも女性という閉じた世界だ。男性ならそこを覗く事に独特の快感を夢見た事が一度はないだろうか?

だから上記の考察はananのグラビアに心地いい罪悪感を付加する。これは男性誌では味わえない快感である。

 

ananグラビアは綺麗で、かつスリリングだ。至高だ。

 

どうだろうか?もう脱衣所に走る準備はできているだろうか??

 

ただし最後に一つだけ断っておきたい。上の喩えのもつ示唆についてだ。

 

脱衣所(ananグラビア)を覗く男性は公共の場ではたから見ると、かなりキツイ。
ローソンでanan読んでる僕、キツイ。
この記事、キツイ。

 

 

P.S. キツイ。