哲学者とギャル
早過ぎた夏、リネンのシャツに素肌から脇汗が滲んでいる。外界から空間を切り取るように効きすぎた冷房が、張り詰めた空気を演出するかのようだ。
??「高名な哲学者に憧れる渋谷のギャルです」
問いかけに対して回答がなされると小さな笑いが起こり、部屋の空気は僅かに熱を帯びた。
突然だが、高名な哲学者と渋谷のギャル、どちらが幸せだろうか?
例えば、
高名な哲学者は幸せとは何かを思索し続けた末に、若くして人生に絶望して自殺したとする。
一方で渋谷のギャルは毎日めちゃくちゃエッチをする、そのうち子供ができて、ありふれた家庭を気付き、子供達に看取られながら生涯を閉じるとする。
ギャルのが幸せじゃね?と思う。
コスパのみを考えれば、幸せの閾値を下げるに越したことはない。
ポテトチップスは美味しい、寝ることは気持ちよい、エロいことはエロい。
ここまで閾値を下げるとまあ幸せになれる。
そんなかんじで、自堕落な僕は割と渋谷のギャルである。
しかし僕の周囲にはより高次の幸せを求める知人達がいる。自分の自分による自分のための努力をしている人とか。大切な人をしっかり愛したいとか。損なのに信念みたいなの曲げないみたいな人とか。
高度な生物だなあと思う。そう言ったある意味コスパの悪い、しかしどうやら意義深げな生き方に憧れたりもする。
しかし僕はそうはなれない。
毎日、ポテチを食って寝て起きたらしこってポテチを買いに行く。
そんな僕も今日は珍しく将来のために就活なんかをして、珍しく価値観なんかを語ったりしたという話。
面接官「君にとって幸せて何?」
僕「私は高名な哲学者に憧れる渋谷のギャルです。というのは………」